2018/10/04 芸術学部音楽学科 お知らせ

ラントシュ・イシュトヴァーン客員教授・ハンガリー政府の最高賞「コシュート賞」を受章されました!

<今年度のラントシュ客員教授の来学は10月15日から。 学生指導やセミナー・レクチャーの他、大谷コンクールの審査委員長も務められます。>

ラントシュ・イシュトヴァーン教授:「私の人生は<教え伝える>ことでした。」 =受賞時のインタビュー記事より=

2018年3月15日木曜日ハンガリーの国会議事堂において、芸術的な伝統を忠実に伝承する演奏家、ピアニスト、室内楽奏者、そしてオルガニストのキャリアを持つハンガリーの音楽家であるラントシュ・イシュトヴァーン氏はその価値ある教授を称えられ大変名誉あるコシュート賞を受賞しました。
「私がコシュート賞を授与されると知った時、一番最初に考えた事にはまず大変名誉な事であるというものでした。そして次に、私の人生の中で何か認められる事があった時はいつも、私よりももっと称えるに相応しい価値ある多くの同僚たちが私と共にあるとそう考えています。」とリスト・フェレンツ賞を受賞したピアニスト、優れた有能な音楽家、ハンガリー芸術アカデミーのメンバーでありリスト音楽院の鍵盤楽器科の大学教授であるラントシュ・イシュトヴァーン氏はその様に語りました。
彼は言いました:コシュート賞について考えたならばフィッシャー・アンニ、フェレンツ・ヤーノシュ、ラーンキ・デジュー、そしてコチシュ・ゾルターン。彼の死はハンガリーの音楽界において何にも置き換える事の出来ない空白なしには思い起こす事が出来ません。
「私達はいつも、彼らをピラミッドの先端の様に例え話しています。今、私はそのピラミッドの先端が出来るには、恐らく私の様な石もまたピラミッドを建てる為に必要となるであろうと感じています。」と彼は付け加えました。
ラントシュ・イシュトヴァーン氏は1949年7月10日にブダペストで生まれました。彼はすでに4歳の頃には教会のオルガンを演奏していましたが、後に2番目の楽器であるピアノはますます重要なものとなってきました。
1964年から1968年の間、彼はブダペストのバルトーク・ベーラ音楽高等専門学校で学びました。トゥシャ・エルジェーベト氏のもとでピアノを、そしてゲルゲイ・フェレンツ氏のもとでオルガンを学びました。
1968年には後の1972年にショイモシュ・ペーター氏の門下生としてピアニストディプロマを修了したリスト・フェレンツ音楽院に入学しました。
ラントシュ・イシュトヴァーン氏はピアニストとしても優れたパフォーマンスを披露しましたが、彼のキャリアにおいて自身が顕著な点として教育活動を挙げました。 彼は、弟子たちにその熱意を受け繋ぐ事が出来た事が自身の人生の中で最も特別な贈り物です、と述べました。
「演奏活動はとても好きなもので、素晴らしい思い出は沢山ありますが、より最も重要なものは教え子達と非常に親密な、まるで家族の様な関係を構築した事です、私は彼らに受け伝える事を試み、彼らは実現したのでした。 彼らはステージに出て、そして私たちが話しあった事を試みました。 教師にとって人生においてこれほど素晴らしい事は恐らくないかもしれません。 」と彼は述べました。
ラントシュ・イシュトヴァーン氏は1973年10月から教員として働き始め、1984年1月1日より学科長、1993年にリスト音楽院学長に任命されました。 間には日本の北海道教育大学でも教鞭をとりました。リスト音楽院の学長就任中には大学博士課程やDLAプログラム開設においても尽力しました。 学長職退任後、再びピアノ科主任、大学院長職に就き2004年に長職から退きました。
またイタリア、デンマーク、フィンランド、日本でマスタークラスを定期的に行い、そして数多くハンガリーや国際ピアノコンサートで審査員をも務めました。
日本の札幌大谷大学の客員教授も務めています。
「人生の大半を<教えること>に費やしました。私はいつも<伝えること>が最も重要であると感じました。」と彼は語りました。 「私は何か特別な事をしたのではありません、ただいつも私は自身のあるべき人生の場所に立ち、自分の義務を果たそうと常に試みました。」
彼は更に今後も最大限の注意を払いながら教えていく事に尽力したいと述べ、また演奏会の活動もより行う意向を示しました。
今、私はしっかりと音楽を創り上げる事が出来た時には観客の皆さんの前に立ち、そして観客と共にそれを共有したいと思っています。 「今やもう、練習する時間がなくてもピアノの前に座らなければならないという事は強制ではなくなりました。私はようやく今、プログラムも、コンサート曲目も自由に選択する事が出来るようになり、何処ででも演奏する事が出来るのですから。」
ラントシュ・イシュトヴァーン氏は1976年にリスト・フェレンツ賞、1991年にシフラ財団賞、1992年にバルトーク-パーストリー賞を受賞しました。 1998年には名誉賞を、2001年にはフェルデシュ・アンドール記念勲章を、また2016年にはハンガリー芸術家賞を受賞し、マジャールラジオとナショナル・フィルハーモニー管弦楽団と共に数々の賞を受賞しました。